コラム
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ジョンソン兄弟と「Lift Every Voice and Sing」の成り立ち
「Lift Every Voice and Sing」は、1900年にフロリダ州ジャクソンビルの学校の行事のために作られた歌です。ここでは、米国議会図書館の音楽部門のブログと、全米黒人地位向上協会(NAACP)の解説をもとに、歌が生まれた経緯と、その後の広がりを整理します。歌詞は引用せず、題名と成り立ちの説明にとどめます。
1900年、リンカーンの誕生日の催しのために
議会図書館のブログによると、作詞したジェームズ・ウェルドン・ジョンソン(1871年〜1938年)は作家で公民権の活動家でもあり、NAACP で指導的な立場を務めました。20世紀に入るころ、まだ NAACP ができる前に、ジョンソンはジャクソンビルの人種で分けられた公立学校で教えていました。1900年、その学校で教えていたジョンソンに、リンカーンの誕生日を祝う催しで生徒の合唱団が歌う歌の詞を書く機会が巡ってきました。ジョンソンは、音楽家だった弟のジョン・ロザモンド・ジョンソン(1873年〜1954年)に、新しい詞に曲をつけてもらいました。ブログは、兄弟はそれぞれ、音楽や演劇、社会正義の分野で意義のある仕事を残しており、一人ずつに記事を割くべきほどだと前置きしたうえで、この記事では二人の最も有名な歌の物語に絞ると書いています。
NAACP の解説は、この学校を人種で分けられたスタントン校とし、ジョンソンは校長を務めていたと書いています。解説によると、歌はジャクソンビルで、リンカーン大統領の誕生日を祝って、500人の生徒の合唱によって初めて人前で歌われました。
自伝に残る詞づくり
ジョンソンは1933年の自伝『Along This Way』で、詞を書いた過程を振り返っています。自伝によると、最初の1行のあとに続く5行は苦労しながら書き進めましたが、第1連の終わり近くで詩の気持ちにとらえられ、その連を書き上げて弟に渡しました。残る2つの連は紙もペンも使わず、弟が曲をつけている間、玄関先を行ったり来たりしながら、くり返し口にして作ったと書かれています。ジョンソンは、そのとき涙を抑えることができず、抑えようともしなかったと記しています。
学校から南部へ広まった歌
学校での発表のあと、翌年にジョンソン兄弟はニューヨークへ移り、ボブ・コール(1868年〜1911年)と組んで、ブロードウェイの舞台のために数百の歌を書き、舞台を制作しました。ジェームズ・ウェルドン・ジョンソンによると、ジャクソンビルの子どもたちはその後も歌い続け、ほかの学校や地域に伝えていきました。20年ほどのうちに、歌は南部で広く親しまれるようになり、出版社による著作権の登録もされていたと書かれています。
議会図書館に残る楽譜
議会図書館は、1900年に著作権が登録された合唱用の楽譜と、1921年に登録された独唱とピアノの編曲をデジタル化して公開しています。1900年の4部合唱とピアノの楽譜には、「アメリカの有色の人々のための国民の賛歌」という意味の副題が付き、ブッカー・T・ワシントンにささげられています。ワシントンが初めての披露の場にいたとする資料もありますが、ブログは、楽譜が彼にささげられている一方で、ジョンソンの回想録にはワシントンがその場にいたという記述がないと指摘しています。
「黒人の国歌」と呼ばれるまで
最初の出版から「国民の賛歌」という副題はありましたが、NAACP がこの歌を公民権のための公式の結集の歌として採り入れ、「Negro National Anthem」と呼んだのは1919年のことです。この呼び名は、1921年の独唱とピアノの楽譜に副題として印刷されています。NAACP の解説は、この歌がしばしば「黒人の国歌」と呼ばれ、1950年代から60年代の公民権運動の中で、人々を結集させる歌として広く使われたと説明しています。
録音と、歌い継ぐ人たち
議会図書館は2016年、国家録音登録簿に、この歌の録音を2つ選んでいます。1つは1923年のマンハッタン・ハーモニー・フォーの録音で、ハーレムにあった黒人経営の短命なレーベル、ブラック・スワンが最後のころに出したレコードの1枚です。もう1つは1990年の録音で、メルバ・ムーアが、スティーヴィー・ワンダー、ディオンヌ・ワーウィック、アニタ・ベイカーらと共に、この歌を新しい世代に届けようと歌ったものです。ブログはほかにも、1972年のレイ・チャールズの録音、2016年の国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館の開館式典でのオペラ歌手デニス・グレイヴスの歌唱、2018年のコーチェラ・フェスティバルでのビヨンセの公演を挙げています。
まとめ
この歌は、1900年にジョンソン兄弟が、ジャクソンビルの学校の生徒たちがリンカーンの誕生日の催しで歌うために作った歌です。子どもたちが歌い継いで南部に広がり、1919年に NAACP が採り入れたのち、1950年代から60年代の公民権運動の中でも歌われました。ブログは、兄弟のこの歌が、祈りと抗議、痛みと励ましの場面で、人々の集まりを支えてきたとも書いています。議会図書館のブログは、学校の催しのために作られた賛歌が、1世紀以上にわたって国の大きな場で歌われてきたことを、驚くべきことだと結んでいます。
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このサイトは、ジャマイカ出身のシンガーソングライター・ゴスペルディレクター、ジョン・ルーカスの公式サイトです。公式サイトはJLミニストリー合同会社(仙台市若林区)が運営しています。ジョン・ルーカスは、幼いころからゴスペルクワイヤのメンバーとして歌ってきたと、プロフィールで紹介されています。アルバム『God is Good』には Oh Happy Day などのゴスペルの曲が収められています。年表は、公式サイトのプロフィールのページで読めます。公演の予定は、公式サイトのスケジュールのページで案内されています。ジョン・ルーカスの公演やイベントについてのお問い合わせは、公式サイトのお問い合わせページからご相談ください。
参考にした資料
各ページの内容は、2026年10月13日に確かめたものです。